「彼 女  2001年4月15日」(前編)

   1


 京阪電車京橋駅で降りる。大阪ビジネスパークへの連絡通路を歩くと、いくつもの高層ビルが立ち並ぶ場所に出た。ビルの谷間でありながら、東京のような息の詰まりそうな感覚はしない。街は人でにぎわっていて、木々の緑は快晴の日の光に映えて、四月なかばであっても、初夏の様だった。

 1997年初夏。彼女は自宅から約20分の距離を歩いて、この場所にやってきた。当時、彼女は23歳。普通のOLだった。彼女がこの場所にやってきたのは「ASAYAN」の企画「シャ乱Qロックボーカリスト・オーディション」に参加するためであった。

「私は23〜4歳でつかむ運命だったと思うようにしている。OLやったのも、告知を見たのも、モーニング娘。になったのも」
 自身の卒業を迎えて、彼女はそう語った。すべては、この場所から始まったのである。
 ビルの街を抜けると、大阪城ホールはもう目の前である。ホールの手前には川が流れ、そこに長い橋がかけられている。この場所から約4年。一時は11人にまでなったグループをまとめ、デビューが遅かったことによる世代の問題に悩んだ。グループの中での出会い、そして別れ。ソロデビューもした。アルバムも出した。武道館のステージにも立った。
 そして、彼女は決断した。
 この日、2001年4月15日。この橋の向こう側、大阪城ホールでのコンサートをもって、彼女は、モーニング娘。の活動から卒業してしまうのである。



  2


「何か、しんみりしないんだよね。武道館のほうがしたかもしれない」
 そう語るのは、何度か会場で会っている彼女のファンの一人である。1年前の武道館公演は、市井紗耶香の卒業ライブだったのと同時に、彼女たちにとっては初めての武道館公演でもあった。
 彼女の卒業には、いままでの、福田明日香石黒彩市井紗耶香が抜けたときとは大きな違いが存在する。それは、今までの3人は引退または休止状態になったのに対し、彼女はハロープロジェクトに残ったまま、ソロ活動へ移行するという筋書きが、すでにできていたことである。
 3月7日、テレビでそのニュースを聞いた朝、僕はポットのお湯を急須に注ぐことができずお湯を床にこぼしてしまった。胃が痛くなったので、仕事中にトイレに行く回数が異常に増えた。「自分で決心したから/大丈夫……」と何度も何度も「恋の記憶」が頭の中でぐるぐると回っていた。サラリーマン的発想だが、僕は人事異動を想像した。ハロープロジェクトという組織の中で、彼女の居場所が娘。からソロへと移った。それだけのことだ、とまで思った。しかし、いくら人に「俺は娘。のファンである前に彼女のファンだから」と強がって見せても、彼女のいない娘。など、想像するのはきつかった。

「ダメじゃん、あれ着てこないと」
 そう声をかけられたのは、ホールの近くにある噴水のところに集まっていた、ファンサイトの常連さんたちのところに行ったときだった。「あれ」とは僕がコンサートのたびに着用した羽織のことである。僕の羽織は新撰組のデザインである。2000年夏のハロープロジェクトのコンサートの時だった。ファンサイトの常連さんたちと待ち合わせるための目印として着たのが始まりだった。
「僕はわかるけどさ、皆は着ないとわからないんだから」
 何度となく会っている人はそう言った。確かにそうである。初めて彼らと出会うまでは、僕はどこにでもいる普通の人だった。でも、これを着ると僕だとわかってもらえる。自分の意識の中では、羽織の僕は、そこらへんにたくさんいるハッピ・サッカーシャツ・特攻服・コスプレと同じだと思っていたので、これが目立つとは思っていなかった。ミニモニ。の衣装をしている家族連れを見てしまうと、特にそう感じる。ところがこの日だけでも何人もの人から声をかけられた。以前も会った、ファンサイトのとある管理人さん、そしてその常連さん。突然「愛の種」のCDを買ってください、と言ってきた女性。さらに、「あのぉ、大阪の方ですか」と声をかけてきた女性二人組。「違いますけど」というと去っていった。そして、雑誌のカメラマンである。顔が写っているのはいやだったので、背中の「ゆ」だけにしてもらった。
 集まった常連さんの大半は昼の部にも行っている。それでも、公園の中はとても人が多く、まるで祭りである。路上で演奏するバンドはヴィジュアル系なのか、ファンの格好もゴスロリの黒い服が多い。そのゴスロリが特攻服と一緒になって記念撮影をしていた。2年前に福田明日香が娘。から卒業したとき、会場の東京厚生年金会館の前には、今日と同じように別れを惜しむファンが詰め掛けた。「Never Foget」を会場に向かって歌う光景は、僕もテレビを通して見たことがある。いま、僕が目の前で見ているのは、普段のコンサートと大して変わらない風景である。そこに、彼女の卒業を惜しんで「恋の記憶」を歌う人間は見あたらない。彼女の名前を入れたTシャツを着た男を何人も見かけた。だが、そこに「青春です。」という、彼女が卒業記者会見で発した言葉を染め抜いているのを見ると、彼女を茶化しているみたいに思えてしまい(そんなことはないと信じたい)、いい気分はしなかった。
 


    3 


 日はだいぶ傾いてきた。この日は常連のメンバーで彼女に花を贈ろうと決めていた。花束はメンバーの代表者の方が、立派なものを作ってくれた。そして、いよいよホールへと移動する。
 今回僕が座った座席はバックスタンドのやや下手よりである。ステージの背後のスタンドにも客を入れるという座席配置である。アリーナ席の後ろのほうよりも、ここの方が距離としては近いが、ずっと背中ばかり見ていることもないとはいえない。ステージでは後ろに向かって歌うことなど、本来はないのだから。バックスタンドから客席はよく見える。知っている人を見つけることもできた。でも、それはアリーナ席の前3列目あたりであって、肉眼では後ろのほうの人を判別するのは無理だった。時にはその観衆は一つの固まりのようにも見えた。一斉に立ったり座ったりしたら、きっと波うつ海の様に見えただろう。ステージ上の彼女は、海に向かって歌うのだ。歌声に応えて叫ぶ海に、いくつもの光がきらめくであろう、夜の海に。
 ほぼ定刻だっただろうか。客席の照明が一斉に消され、大きな歓声が発せられる。客席には蛍のような無数のサイリウムの光。ステージ上の左右に吊り下げられた大きなスクリーンには、出演者の映像が流れている。バックスタンドからは、裏からスクリーンをみる形になるので、左右の像が反対になった映像を見ることになる。もっとも、場内の客が見るスクリーンと直角な形で、バックスタンド向けにスクリーンが設置してあるので心配はいらない。
 
 ミニモニ。プッチモニに続いての4曲目。「悔し涙 ぽろり」のイントロが流れた。ドレスを着た彼女が、ゆっくりと階段をあがってくるのが見えた。歓声は割れるように大きくなって、何と叫んでいるのかもわからないくらいだった。ドレスの色は紫。やはり、この日の意味を意識しているのか。
 「悔し涙ぽろり」を歌う間、僕は彼女の背中をずっと見ていた。彼女は人前に出て曲を歌うときは、どうしても緊張してしまうという。それを心配していたわけではないが、僕はずっと彼女の背中を見ていた。体が震えているようには見えなかった。
客席には曲に合わせて騒いでいる客が何人もいた。こんな日であっても、この曲で騒ぐなんて。複雑な思いがした。せめてこの日、この1曲だけは、曲を味わってほしかったのに。

 昨年の夏、彼女は4枚目のソロシングル「上海の風」をリリースした。それ以降、彼女はソロのコーナーで「上海の風」を歌うようになるのだが、秋になって、客席に困った状況が現れた。サビの部分で歌に合わせて叫ぶ人が出始め、いつしかそれは客席でのお約束のようになってしまった。
 そして、あるサイトでそれをさも当然の様に扱う書きこみを見つけるや、
「それは違うぞ!」
 と、僕は思わずディスプレイに向かって叫んでしまった。曲の途中に叫ぶのは否定しない。叫びたくなる気持ちも、わからないわけじゃない。しかし、この叫びは絶対に間違っていると思っている。もっとも、この状況は異常だ、と思う人は僕だけじゃなかった。オールナイトニッポンSUPERにも投稿があった。歌っている本人はどう思うのか、それが聞きたかったのだろうと思った。
 彼女それを否定しなかった。「自分がいいと思った風にすればいいのではないでしょうか」とだけ言った。僕は、そこに彼女のリスナーに対するやさしさを感じた。だが、一部のリスナーは、それを感じ取れなかったのだろう。
「これでお墨付きがついたって事ですよね」そんな書き込みを見つけるたびに、そういうことじゃないだろう。それくらい自分で考えろって事じゃないの。そうやってディスプレイに向かって毒づいていた。
 僕はそれ以来、彼女のソロのときだけは、ただ黙って立って、じっと曲を聴いている。
サイリウムも振らない。じっと彼女を見つめることにしている。


                                  =後編へつづく=