自分次第の話。

 佐藤正午の「きみは誤解している (集英社文庫)」という競輪をテーマにした短編集のなかに、「遠くへ」という作品があります。その中で、語り手の女が、競輪場で出合った勝負師のような老人にこう諭される場面があります。

「俺とあんたはここで仲良くなったけど競輪をやる以上友達にはなれない。競輪は車券を買う客同士で金を奪い合う博打なんだから。二割五分の税金を持ってかれたあとの七割五分を奪い合う、つまりこのレースはおれとあんたでその金を奪い合うわけだ。お嬢さん、俺が言いたいのはそこなんだよ。あんたは筋がいいからこの先もどんどん上達していくだろう。でもあんたは独りぼっちだ、勝っても負けても独りぼっちだ、誰にも当たったことを自慢できないし、はずれたことで誰にも愚癡をこぼせない、それがギャンブルの世界のルールだ。ここにいれば誰からもああしろこうしろと命令されることはない、誰かに気を使って遠慮する必要もない、思い切り大胆にもなれるし人知れず臆病にだってなれる、そのかわりここで起こったことの全部を自分で背負わなきゃならない、決めるのは自分で結果をつかむのも自分だ。なあお嬢さん、決めるのはあんたなんだ、度胸よく一点張りするのも、こすからく保険をかけるのもあんた次第なんだよ、誰かに頼りたいならこんな所には来ないことだ、なあなあで仲良くしたけりゃ、信用組合で堅実に働いてせいぜい貯金でもためることだ。おれの言うことがわかるか、お嬢さん」
 彼女にはわかった。

 この小説に描かれている時の競輪はまだ枠単の時代で、3連単とかは導入されていません。だから事情は違っているのだと思いますが、根本的なことは一緒でしょう。小説の中の彼女は、保険をかける賭け方はギャンブルとはいえない、という意味の言葉を吐きます。保険をかけると、あれもこれもそれもどれもと、どんどん買い目が手広くなっていき、最終的には総流しという所に行き着く(そして外す)のは過去に僕自身が経験したことでもあります。
 たとえ本命であれ、狙って取る。そういう根拠のない確信が来る時というのは、ギャンブルに限らずあると思います。ギャンブルのセンスだけでなく、そういう時に人の本性というものは出てくるのかもしれません。
 
 いま自分の周辺は、結構いろんなことが動いています。同僚が一人、会社を辞めることになりました。自分ももうすぐ30台後半になります。周りの人も変化が出始めました。今が僕にとって転機なのかもしれません。その転機のピークの時に、度胸よく動くも、保険をかけるように止まるのも、全ては自分次第。心の準備をしておきます。
 自分は負けているわけにはいかないのです。