エルダー卒コン@2・1横浜アリーナの話。

いや、きっと違う
俺たちはただ刻みたかった。
自分たちは確かにここにいたのだと
大声で叫びたかった。
自分たちは確かにここにいたということを。
刻みたかった。
抗いたかった。                      
*1

あらかじめチケットを確保していた昼と、当日券を買って入った夜。2本の公演を見て、思い浮かんできたのは、こんな感じの感慨でした。
セットが2001から2003年のヒット曲を中心に構成した、というかエルダーメンの曲はほとんどそんな感じだったから、どうしても、想い出語りというか懐古風味の感想になってしまいます。
でも、自分はいろいろ興味が移ったとしても、軸足は娘。でありハロプロだったことは事実で、中身はどうあれ、それが当日券を買わせる、叫ばせるという行動に走らせたのだと僕は考えています。
これからはこういったハロコン、これだけのメンバーを集めたきらきらしたハロコンはもう存在しないわけで、俺たちは娘。達を、彼女たちを、こうして応援してきたのだ、そういうことを思いながら見ていました。

 今回のステージ配置はアリーナを横長に使い、正面ステージとセンター席を囲む周回ステージ、その週回路の3時6時9時の位置に小舞台、6時(対面)の小舞台と正面ステージをつなぐ花道で構成され、ギリシャ文字の「θ」が近い感じか。自分の座席は昼が北スタンド席(下手側)、夜はアリーナ席ブロックB(下手側)の一番後ろ、要は立見なだけど、そこから視線の先に周回通路のバックストレッチが見えるというところ。昼の公演ではステージ脇の大型ビジョンが斜めでしか見えなくて、苦労したことは確か。でも、決して悪い席だとは思わなかった。そりゃ昼は天空席だけど、僕はいつもこういう席で見てたから。

 最初、登場したところっていうのはステージの方はほとんど見ていない、それは誰が誰だかわからないので判別の仕様がない。そんな状態で、エッグのメンバーが花道で踊っている、それでメンバーが登場しながら歌う「雨のない星では愛せないだろう」も初めて聞いたのでよくわからない、途中で今日のの主役とばかりにエルダー組が登場して、なんとなくの感慨にふける。それはこのようなハロコンというのはもうないのだろう、そんなおぼろげながらの感慨。
2曲目は「マノピアノ」。でも歌いっぷりがどことなくオールドファッションな感じがして、でも、なんとなく妹キャラというかそんな感じは受けた。そのあと下手の小舞台からしゅごキャラエッグ登場。とりあえず受け入れがたいというか違和感というか。そんな感じ。別にコスプレがキライってわけじゃないんだけど、なんかアニメのイメージとは違うというか。音楽ガッタス前田有紀ちゃんに続いての6曲目が「浮気なハニーパイ」。このイントロが流れ、里田まいとエッグのメンバーが出てきた時、ここに紺野と藤本が出てくればと思った。でも、それは違う。そうすればオリジナルのメンバーに近づいたけど、これはやっぱり里田まいのブレイクに対するご褒美といってもいいくらいの意味があったと僕は思う。何気に今一番名前が売れているのは彼女、そこでふたりが出てくるというのもちょっと違うかなという思いもしたのだ。

 このあとが裕ちゃんで、曲が「悔し涙ぽろり」だったこと、そしてそのとき裕ちゃんがまとっていたのが紫色の衣装だったのは驚いた。なにせ、裕ちゃんが卒コンの時にソロで歌ったのがこの曲で、そのときも紫の衣装を着ていて、そのときとちょうど同じような感じで登場したからだ*2。夜公演だと、周回路を歩く裕ちゃんの姿はどこかで見たような気もして、全体がなにかのデジャブかと思うくらい。会場も「割れるような大きな声で何と叫んでいるかわからないくらい」の卒コンを想像するくらいの大歓声。でも、どことなく緊張感というよりは大きな気持ちで見守っていたいと思った。裕ちゃんがこういった場所で紫の衣装を着るというのは、自分の中では一種の勝負カラーのようなものだと考えているので、それだけでも今回のステージにかける思いが感じられた。だから、卒コンの時みたいに「ちゃんと曲聞こうよ」みたいな変に意識を縛るような気持ちではなく、まわりの声援も何もかも許したい、受け入れたい、そんな気持ちだった。最後、上手側の小舞台から、声援を求めるが如くに両手を耳に当てた姿は、大歌手のような貫禄すら感じましたし、ハロプロにおける名シーンのひとつになるのではないでしょうか。

 月島きらりが愛子・フランシスという台湾の子と一緒に踊るというシーンを経てメロン記念日登場。
そこで流れたのが「This is 運命」という看板曲。客はいっせいに叫びだし、夜に至っては斉藤瞳がスカーフを振り回すなど、メンバーが俺様化して客をさらに煽り、自分はそれに応じて、その日使っていたマフラーを振り回した。恐るべしメロン記念日。メロン推しの団結力は半端ではないことは聞いていたのだが、彼女たちもアリーナのステージにまったく負けていなかった。続いて「FOREVER LOVE」で℃-ute登場。初めてメンバーを℃-uteとして見たわけだけど、やっぱり舞美ちゃんと愛理が中心なんだというのはわかる。だけど、なんとなく他の判別が難しい感じ。目に留まったメンバーはいたんだけど、それが誰だかわからないまま曲が終わったというか、見てないから戸惑っていたように思った。続いてベリ登場で「抱きしめて抱きしめて」という新曲を披露。やっぱり現場で見ている数が違うので℃-uteよりも判別が早くできる。
 昼の時に思い出したのが、「起立礼」にコンドルズの勝山さん・藤田さんがゲストに来た時の事。勝山さん曰く「大きな会場でもビジョンは見ない」と。そして「3センチでもいいから今より大きく動く」と。特に昼公演だとビジョンは斜めでしか見えないので、花道に動くと全然違う方向になってしまう。だから見ないことにした。スタンド席でも佐紀ちゃんを見つけにかかるのは、推しの習性ですね多分。佐紀ちゃんは人よりも大きく動いているように見えたのは、ひいきというべきなのか、それはわからない。

 そのあとがタンポポ。歌いだしが圭織と矢口。そしてかつてタンポポだったメンバーが登場してきた。歌は「たんぽぽ」。夜公演のそのとき、客席のサイリウムから黄色以外の色が消えていたことに僕が気付くのには、そう時間はかからなかった。「タンポポ畑ふたたび」だ。そうだ、それもこの場所だったんだ。当時の僕はそこではなく、病院のベッドの上にいて、その場所にはいなかった。だから、そういうものが見れるとは思わなかった僕は率直に驚いた。特別な告知とかそんなものは全く見かけなかっただけに。それだけをもってしても、この日の観客がそこに込めた思い入れを知ったような気がした。
 続くプッチモニの曲は「BABY! 恋にKNOCK OUT!」。やっぱり昔、それこそ裕ちゃんの卒コンを思い出してしまうし、どうしてもごっちんの不在を感じてしまう。でも、時間が経っているのはいやというほど感じていて、サビの部分の振りとか前は出来たはずのことが出来ない自分に少しばかりがっかりした。松浦亜弥は新曲「チョコレート魂」を他2曲とともに披露。ちょっぴり昔に回帰したような、そんな感じの曲。やっぱりらしいといえばらしい。でも、メタメタなアイドルとしての曲というよりは、ある意味都会派な感じのポップというのだろうか。堂々と、というか度胸あるというか。それでいて客席最上段へ呼びかけるなど、細かい配慮も忘れない。そんな力はさすがだと思う。

 なっちが「スクリーン」で登場したのは23曲目で、堂々と週回路を歩きながら歌っている。でも、なんかなっちにアリーナというのは似合っていないような感じがした。どうしても、彼女の歌は大きな会場でたくさんの人を前に歌うよりも、ホールのようなまとまった場所で歌うのが似合うような感じがするのだ。もちろん娘。のマザーシップとして長年フロントを張ってきた人の歌である。それでも、なんか、彼女の歌はもっとパーソナルなもののように思えるのだ。だから、大歓声を受けている彼女であっても、なんとなく全体を引き寄せたという感じがしなかったのである。そして、MCをはさんで5期メンが「好きな先輩」を歌った。彼女たちほど逆風を浴び続けたメンバーはいないのではないだろうか。頂点のときに娘。に入り、娘。の勢いがなくなると一部のファンに戦犯扱いされ、トップになると妬まれる。かくいう自分も裕ちゃんの抜けた娘。からは距離を置き始めたから、わかっていたとはとてもいえない。しかも、これで5期は切り離されてしまうのだ。卒業してしまうふたりと娘。の看板を守り続けるふたり。こういう場面がこれからあるとは限らないわけで、そういう場面をもう一度刻印するためのセットだったように思えてならない。

 昼公演で思わず「それやるかい!」って言ってしまったのが「ロマンティック浮かれモード」。夜公演においては隣の客がイントロがかかるや床にひれ伏したのは驚いた。しかもそれをやったのが隣だけではなく、自分の周囲だけも5人くらいはいた。もちろんそれらの客は当然の如くヲタ芸を打ち、回転した。自分はそこまでマスターしていなかったのでやらなかった。でも、この場においては「もう好きなように打てばいいさ」という気持ちで、熱狂する場内のなすがままに合わせて「ミキティー!」と叫んでいた。

 娘。の新曲「泣いちゃうかも」は「リゾナントブルー」と並んで26・27曲目だった。今の娘。は本当にかっこよいグループになったように思う。パフォーマンスは安定して、危なっかしい感じはしないように見える。でも、それだけで世間は向いてくれないのだ、というそれが現実というものなのだろうか。
 ℃-uteが「涙の色」を披露したのは娘。のあとだった。彼女たちが花道に出て歌っている時、相変わらず僕はメンバーの判別に戸惑っていた。その中にひとりだけ動きの大きな子がいた。動きは基本的に変わらないのだが、ひとりだけその子は目立った。中島早貴だった。曲に取り立ててどうというところはなかった。

 31曲目の前に初期メンが話した。1998年のイベント。伝え聞いた、客が入らなかったこの場所で行われたリリースイベント。そしてそれから時が流れ、満員の観衆を集め、リベンジを果たした2001年の単独ツアー、そして奇しくも同じ今日は2月1日。「モーニングコーヒー」。大きな歓声が上がった。しかし、その曲はワンコーラスで終わってしまったのだ。なぜだ、残念だと思った。スタッフはこの日の意味がわかっているからここにこの曲を置き、MCでわざわざ11年前に触れたのではなかったのか。それだけの曲を、なぜ、短くしてしまったのだろうか。
 
 あとは怒涛のなだれ込みである。「ここにいるぜぇ!」から「LOVEマシーン」。そして「未知なる未来へ」。ただ、乱舞するメンバーを自分は見ているしかなかった。流れるままに叫んだ。それだけしかなかったように今は思う。

 夜公演には卒業セレモニーが用意された。
 ワンダ組の代表が送る言葉を読み上げたのだが、一番印象に残ったのは高橋愛の送辞だった。 
 彼女は、私たちはあなた方を越えてみせる、そのような言葉を放った。まるでツンデレだと思った。でも、何年前だっただろう、卒コンのときに泣き崩れてまともにしゃべれないまま、叱咤される彼女を見ていた僕は、それが彼女の精一杯の強がりのように見えてきた。これからの新ハロプロは彼女が旗頭なのである。

 そして最後の曲を経て、終わってしまった。アンコールを求める拍手を受けてメンバーが出てきて両手を挙げて歓声に応えた後、退場して、本当に終わってしまった。客席から続々と客が帰る中、通路の脇で舞台に向かって深々と頭を下げている男がいた。声をかけた。ハイタッチの手は絡み合って、お互い、数秒間握ったまま、無言のままだった。何かを失ってしまったような、そんな気持ちが胸の中にあった。
 自分たちは、なぜそこまで必死だったのだろう。
 もう、こういったハロコンというものはない。あったとしても、それはワンダコンでありエルダーコンの規模が大きくなったものでしかない。でも、自分たちはこうして長い間彼女たちを応援し、彼女たちに勇気づけられ、彼女たちに声を送り続けてきた。それが自分たちに出来る精一杯のことだった。推しメンの違いはあれ、それこそが、自分たちがハロプロを応援してきた証のようなものだった。だからこそ、この日の出来事は、演者とファンの関係を超えて、彼女たちの記憶に永遠不滅の絆として刻まれるに違いない。

*1:出典:TVアニメ「シムーン」より第26話「彼女たちの肖像」

*2:当時はアリーナを縦長に使い、自分はバックスタンドで見ていたので、下手側の小舞台から入ってきた今回と位置関係は同じとなる