バンクーバー!の話。

始まってだいぶたってしまいましたね。
彩陽さんも早くも興奮しているみたいで。
そんな中、だいぶ前に買った「Number」(747号)のオリンピック・フィギュアスケート特集。
この中の文章がすごく中身が濃く思えました。
特にナンバーノンフィクションの「太田由希奈の生き方」(文=中村計)という作品は、考えさせられるものがありました。
彼女のことはよく知りません。名前を見かけたことがあるような。そんな程度です。でも、02-03シーズンのNumber567号に<いま、日本の女子ジュニアがすごい>ではじまる記事で紹介され、そこに写っている4人の選手が彼女と安藤美姫鈴木明子浅田真央だったこと。その後世界ジュニア、四大陸選手権を制し「氷上のバレリーナ」とも称され、表現力に優れた選手だったということ。その反面、練習したがらなかったこと、周囲の期待と本人の意識の間にできた溝、普通の生活と競技生活との狭間で揺れたこと、それによって負ってしまったケガ。そして復帰と引退のきっかけについて。それらについて描かれた文章は、フィギュアスケーターという人種は、生き方すらドラマチックなんだろうかとも思わせるものでした。

そして、それを読んで考えてしまったのが「バランス」のことでした。
成功と失敗。
技術と芸術。
才能と努力。
自分を追い込むことと休むこと。
人はそういったものの微妙なバランスの上に生きているものだと感じたのです。

筆者は、このようなことを書いています。

才能というものは能力の総量ではなく、往々にして偏りであることが多いものだが太田も例外ではなかった。豊潤な感性を天から授かったものの、ジャンプ系の技は得意ではなかった。さらにその弱点を克服するためのひたむきさや根気といったある種の泥臭さが欠けていた。

 最初に彼女を指導した濱田コーチは彼女の気質を「とにかく感情の起伏が激しかった。落ち込んだら、ガクーンといってしまう。芸術家肌っていうんですかね。スポーツマンのように元気で、がんばります!って感じではなかった」といい、彼女自身も「もともと精神的に波がある方だった。ひどいときはひどい。自分でも、そんな自分に振り回されていた」と。それでも成績を残すたびに周囲の期待が高まり、彼女の心との間に溝ができる。それが練習中のケガを生み、休むという結果を生みました。休むことで心が回復することも多いのでしょうけど、彼女の場合は「ますます精神のバランスをとるのが難しくなってしまった。練習をすると、足が痛くなるし……」と。
 彼女はケガの後復帰します。しかし、その2年後に引退してしまいます。
 復帰後の指導者・樋口コーチは「僕が求める練習量の40パーセントくらいでしたかね。せめて50パーセントぐらいやってくれればよかったのに。運動選手というよりは芸術家だったのかな」
「彼女が持っているものからしたら、何が何でもがんばったほうがよかったのしれない。でも、新採点方式では、きれいなだけじゃ勝てないですからね。跳ばないと、点数は出ない。だからこそ、みんな強い思いで練習している。その点、彼女はもともと何が何でもという感じではなかったですしね」
 と、彼女の「辞めたい」という意思を受け入れたときのことを語っています。

 こう書いてみると、「もうちょっとがんばれたんじゃない、と言いたくなってしまう」という濱田コーチの言葉のように、志半ばで挫折した悲劇のヒロインのようです。が、掲載された彼女の表情は不幸をしょいこんだようには見えなかったんです。

現在、彼女はプロスケーターとして活動する傍ら、指導者への道も模索しているようです。
僕がこの文章を書いているときに、いろんな人の感想、特に前々からのフィギュアスケートファンの感想をいろいろ読んでいる中で、多かったのは「残念だ」ということ、現役時代の演技を懐かしむようなものの中で、「彼女はきっとその天分をプロスケーターか、コーチか、またはその他の道で開花させるに違いない」という感想があったのには、一番納得できた気がしました。
「ずっとスケートに関わっていきたいって思ったのは最近のことなんです。やっぱり、私からスケートを切ることはできない、って」という彼女の言葉や、スケート靴をあしらったネックレスのエピソードなどを読むと、筆者が文章の最後に

太田のスケート人生の結論を出すのは、まだ少し早いと思ったのだ。

と書いたことも、ちょっとだけ分かったような気がしました。
今の彼女が心のバランスを支えるポイントを見つけたのだと思えてきたからです。

雑誌自体はもう新しい号が発売されますので、店頭には残っていないでしょうけど、注文するなり図書館に行くなりして、真央ちゃんの言葉に刺激されている彩陽さんにも読んでもらいたい文章でした。