アイドルを語ることは難しい。の話

 日曜日の朝日新聞読書欄の「ニュースの本棚」*1にアイドル戦国時代と題していくつかの書籍が紹介されました。
その中で評者の太田省一氏(社会学者)は、「『がんばる』の共同体」という言葉をキーワードにして、現代のアイドルとファンの関係を語っていました。目標に向かう共同体としての「がんばる」、そのプロセスの一番わかりやすい例がAKBの総選挙だ、という論の流れは、今までのアイドル像、例えば偶像崇拝とか擬似恋愛といったことばで語られるものよりも感覚として近いものだと思いました。そこに日本とK-POP勢との印象の違いをも見出すことができるというところも納得できるものではあります。
 その一方で、評者は「それは、メディアを通じて形成されるヴァーチャルなものでもある」ともいいます。メディアが一定の距離を確保してくれるがゆえに、愛あるゆえの優れた分析・批評も可能にしてきた、とも。
 紙面の中で、評者とは別の鈴木京一氏の文の中では、久住小春の「17歳の転職」に触れていますが、その書籍がいわゆる暴露本ではなくUFAも関わっていることを挙げて、「挫折も含めて『商品』になっているようです」とまで言われてしまうのは、やはりその距離のせいなのかと思わざるを得ないのです。
 評者の文に、「しかし、直接的な「現場」重視のアイドルグループの勢いは、アイドルをいかに語るかという課題を改めて突きつけている。」とあるように、世間一般の考え方では説明の難しいことがこれからも生まれてくるのかもしれません。例えば、AKBの「everyday,カチューシャ」がシングル初動売上の新記録を作っても、世間一般に浸透している感覚をもてないことを説明できないように。ファンが複数枚買ったりするからという説明はできても、何十枚と買ったりする理由が説明できない。このようなことは、きっとこれからも、AKB以外からでも起こりうるのだと思います。
 評者の結びの文章に、いまアイドルを語る書籍が相次いで刊行されているのも、その語る文法を模索することの表れだとあります。現場重視の流れでできた「がんばるの共同体」が今のアイドルを象徴するものだとすると、細分化した人の嗜好がまとまってできた共同体を、外から一つの論でまとめて論じることは難しいのかもしれない。今のアイドルグループはそういうものに変化しているのだと、自分はおぼろげながらに考えています。


文中で紹介された書籍はこれらの書籍でした。

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

ライムスター宇多丸の「マブ論 CLASSICS」 アイドルソング時評 2000~2008

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K-POPがアジアを制覇する

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追記)アイドルの話題が多くなってきたので「音楽」「雑記」のカテゴリからアイドルの部分を「アイドル」のカテゴリにまとめました。