中澤裕子と京フィル 気ままな音楽会

(11月29日 京都コンサートホール

会場の京都コンサートホールはすごくモダンな建物でした。調べてみると平安建都1200年の記念として建築家の磯崎新の設計で建てられたものだそうです。敷地に入るとまず建物に沿ってまっすぐな石畳。鴨川の流れに見立てたのか建物に沿って水路があり、水路に面した建物内にはレストランがあります。2分程度奥に歩いていくとやっと入り口。建物の中に入ると、2階にある大ホールの入り口までは円形の吹き抜けをまわり込むようにスロープが通じています。スロープの壁には小沢征爾とか朝比奈隆とか佐渡裕とか内外のクラシックの著名人の写真がたくさん掲げてあります。


 ホントにこんな所でやっちゃっていいんですかねぇ。

 当日合流した人にも言いましたが、それが開演前の正直な気持ちでした。
中に入ると、そこはまさにクラシックの世界。中野サンプラザとかとはまったく違って明るい照明、高い天井、ステージの後にも座席があり、その上にはパイプオルガンも見えます。そして、舞台の上にはオーケストラのセット。ピアノとドラムセットもありました。
客層も普段とは違って年配の方もかなり多かったです。京都新聞関係で参加した方や京フィルの関係者でしょうか。開演前に合流した裕ちゃん推しの皆さんは、ほとんどが前方の席を確保していたようで、前の方に固まっていました。ちなみに僕の席は22列でした。もっとも、空席もかなりありました。
 場内は明るいまま楽団のメンバーが入場してきて、場内から拍手。そして指揮者なしで演奏開始。
「舞踏会の美女」「鍛冶屋のポルカ」に続いて司会の山本雄二氏登場で挨拶。続くブラームスの「ハンガリア舞曲第5番」は聞き覚えがある曲でした。
そして山本氏に呼び込まれて裕ちゃん登場、ところが。
「サンダルの紐が外れてしまいました。(場内笑)出直します!」(拍手)
 と言って引っ込んでしまいました。
 そしてすぐに再登場。大丈夫かなぁ・・・・・・。
 裕ちゃんの衣装は白くてヒラヒラ感のあるドレスで、頭にもキラキラ光るものをつけていました。
 そこから山本氏と長く話します。京都出身というところから始まって、子供の頃はピンクレディーになりたかった、玉入れが嫌いだった、高校行ってどうだったと、ややオーバー気味に話を進める山本氏との掛け合いに乗って、一とおり経歴を公開しつつ「ら・ら・ら」へとつなぎます。♪らーらーららーらーで手とか振ってもよかったのしれませんけど、自重。
 山本氏は、必ず裕ちゃんと曲との接点をきっちり説明してきます。
オリビアを聴きながら」の作者尾崎亜美も京都出身。「あの素晴らしい愛をもう一度」の作詞者北山修も京都出身、と。裕ちゃんも「FSシリーズ」の縁を話して「オリビア」から「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌います。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」で裕ちゃんは手拍子を要求。歌はまだ緊張が解けていないようで、でもしっかり歌えています。
 ここで第1部終了。15分の休憩に入ります。

 
 休憩あけて第2部。
 最初の演奏曲は「ワルツィングキャット」。動物の鳴き声をモチーフにした曲のようで、打楽器の演者が時々ネコのぬいぐるみを出したりする趣向を見せてくれました。最後におもちゃのバケツに紐をつけた物を出したのは驚きましたが、紐を引っ張った音で犬の鳴き声を表現しているようです。続く「コンドルは飛んでいく」でフルートとクラリネットの人が前に出てリコーダーを吹きます。音楽の授業ではとても出ないきれいな音です。普段吹いている人だけあって、唇のあて方とか吹き方とかが違うんでしょうか。
 そして「恋愛レボリューション21」。歌なしです。曲自体もファンキーで華やかさはピカイチの曲ですけど、管楽器の音が前に出てくる感じで、華やかさはしっかりと生きています。さすがに「ほい!」はなかったですが。
 弦楽四重奏の「リベルタンゴ」は、どこかのテレビ番組で聞いたような気がしました。妙に憂いのある音色でした。

 ここで赤いドレスに着替えた裕ちゃんが再登場。
「ひとり紅白歌合戦ですね」と山本氏。
 裕ちゃんはの衣装は、基本的にスタイリストとの話し合いの末、選んでもらった中から裕ちゃんが状況判断の上で決定するのだそうです。
 さて、続いての演目は朗読。こんのひとみ著「30人のお母さん」の中から2作を選んで弦楽四重奏をバックに朗読というもの。裕ちゃんはさらっと読んでいきます。情感込めてとかそういうものではなく、何気ない1コマを切り取ったような印象がします。
 ここからは3曲続けて娘。の曲。
 まず「抱いてHOLD ON ME!」。ですが、オリジナルで主に明日香となっちが中心に歌っていたところを、裕ちゃんがひとりで歌わなければいけません。そこを裕ちゃんは中間のラップを歌わず、「ねぇわらって」の後に♪はぁーと裏メロを歌うことで乗り切りました。「ねぇ笑って」は照れながらやってました。ここは圭織の見せ場だということが頭の中をよぎったのでしょうか。そういうところもあって、ちょっとずれたような感じは受けましたが、裕ちゃんの必死さは充分に伝わってくる曲でした。
「この曲ひとりじゃ難しいねん」などと言いながら「もっと盛り上がってもいいんじゃない?」と客席をあおります。と言いながらすぐに「次はゆっくりした曲なんですけど」と裕ちゃんもどこか普段と違う感覚に戸惑っている感じも見受けられます。その次の曲は「Memory青春の光」。原曲もストリングスの音が印象を残す曲で、オケをバックに歌うに合っていました。
 歌っているときに思い出したのは、裕ちゃんのことではなく今の娘。のことでした。僕は9月の武道館公演に足を運んだのですが、その時にこの曲が歌われたときに、ショックを受けました。悲しいはずのこの曲が、悲しく聞こえなかったのです。何でこの曲がこういう風に聞こえるのだろう。どうしてそういう風になるのだろう、と一種の絶望に近い感じを受けてしまったのです。
 この日、裕ちゃんの歌うこの曲を聞いて、僕は「そうだ!やっぱりこの曲はこうなのだ」という思いを新たにしたのです。裕ちゃんの歌声にはさりげない憂いのようなものがあると思っています。この日のこの曲にはその憂いのようなものが、充分に込められていました。そこが今の娘。には、まだ少し足りないのかもしれません。
 裕ちゃんはしきりに観客の反応が硬いことを気にしていました。無理もありません。今回は普段とは違うのです。事前にサイリウムや応援グッズの持込が禁止されていました。客席のファンは誰であれ、普段とは違うことを意識していたでしょう。裕ちゃんは「関係者の方もいいと言っている」といってまた客席を煽りました。
 「モーニング娘。といえばこの曲」ということで選ばれた次の曲は「LOVEマシーン」。手振りはファンだけでなく一般の人もかなりやっています。やはりこの曲の浸透度はかなりのものです。ところが、サイリウムと叫び声の中にいる自分と感覚を合わせたかったのか、間奏部で裕ちゃんは「オイ!オイ!」と客をさらに煽ったのです。いいのか本当に、叫んじゃっていいのか、と思いました。僕は手拍子と手振りだけにとどめました。やっぱり、それは違うと思ったからです。
 最後は自分の持ち歌から「DO MY BEST」。結局「ゆーこー!」という声が飛んでしまいました。Bメロにいくと「ゆーこ おい!」が一部から起きました。オケはこういった声に動じることもなく演奏しました。裕ちゃんは特別喜ばしい表情をするわけでもなく、最後まで歌いました。客席は一応盛り上がりました。立ち上がった人もいました。その中で僕は、これで本当によかったのか、悪かったのか。そういうことばかり思いながら拍手をしていました。そして、多分これでいいのだろうと思いました。本人がそれでいいというのだから、それでいいんだろう、と言い聞かせました。
 普段のライブならばこれでいいんだと思うんです。叫んでいいと思うし、僕も叫びます。でも、今日は特別だと思っていた。だから、普段どおりの叫びを裕ちゃんが求めたことに、僕は最後まで戸惑っていました。

 裕ちゃんは手を振りながら舞台からはけていきました。客席からは拍手が続いていました。アンコールを求める声はなく、拍手が続いていました。裕ちゃんが出てきました。短く挨拶。そして「さいならっ!」と去っていきました。
 再び拍手が止むことなく続いていました。裕ちゃんは再び出てきました。「どういう風にしたらいいかわからないのですが・・・・・・」といいつつ中央に立ちました。
 そして脇から出てきた山本氏が一言だけ言いました。
「歌わなきゃ」
  アンコールの曲は「今日は京都でのライブということで」という意味を込めて「ふるさと」でした。
 気持ちのよい歌、見事でした。
 そして、終演となりました。

 確かに戸惑ったところはありました。でも、それは僕が普段とは違う裕ちゃんを見たかったからなのです。裕ちゃんほど多彩な活動をしてきたハロプロメンバーはいないのです。サイリウムと叫び声の中にいる裕ちゃん。それは今までも見てきたし、12月のライブでだって見れると思います。それゆえに、僕はこの特別な瞬間は、最後の最後まで特別なものであって欲しかったのです。
 とはいえ、このイベントはとてもよかったと思います。例えば他のメンバーが歌えば、また違った感動が味わえたのかもしれません。でも、そのメンバーのファンが果たして落ち着いて曲を聞いていられるかというと、僕はそこを疑問に思うのです。こういう形で裕ちゃんに接することが出来ること、それはファンとして限りなく貴重なものだったのです。
 そして僕は、この裕ちゃんとの貴重な瞬間を作ってくれた、京都新聞と京フィルの英断に感謝したいと思うのです。