「彼 女 2001年4月15日」(後編)

(前編はこちら)

    4


 舞台では松浦亜弥が「ドッキドキ!LOVEメール」を歌っている。
 このあたりになると、娘。が出ないせいか、場内はトーンダウンしてしまっている。確かに彼女の人気を娘。と比べるのは酷というものだろう。だけども、座席に座って、持ち込んだ飲みものを飲んでくつろぐというものは、いかがなものかとも思うのだ。
 筆者の隣にいた少年も座っている。僕が場内に入って自分の座席についた時、彼は僕を見て思わず「げえっ!」と口走った。無理もあるまい。背中に「ゆ」の字を入れた新撰組の羽織を羽織り、頭に紫のバンダナを巻いた男が隣にいるのだ。とんでもない奴が来やがった、きっと彼はそう思ったに違いない。コンサートに行くと必ずいる、特攻服や赤いハッピの集団と同じかと思ったのかもしれない。
 コンサートが始まってからも、彼らはほとんど動かなかった。自分が派手に動いたからかもしれないが、どう動いたらいいのか分からないといった感じだった。真似でも何でもやればいいのにとも思うのだが、聞きたいと思う気持ちのほうが多いのかもしれない。僕は聞くべきところはしっかり聞くようにしているつもりだ。騒ぐだけじゃだめだと思っている。だから、僕はうちわは振らないし買わない。後ろの人に邪魔だと思うからである。でも、彼らはただ棒立ちで見つめているだけで、6300円分を楽しめたと思っているのだろうか?
 
 舞台上に戻ろう。
 平家みちよが「ワンルーム夏の恋物語」と「結局byebyebye」を歌ったので、あと残すは娘。だけとなった。今までは娘。→ユニット→娘。という流れが普通だったのだが、今回はそうではない。最初のミニモニ。から平家みちよまで、娘。を挟むことなく次々と登場させたからだ。

 舞台の上は暗く、そこに響くは鐘の音。それに呼応してか、叫び声もまた再び大きくなる。
 「コングラッチュレイション!」
と歌い出しが響いて「ハッピーサマーウエディング」の始まりである。金の衣装に金のベール。ステージを大きく使った人数配置である。この10人がフォーメーションを組んで、動きまわるわけである。何度見ても惚れ惚れするものだ。
 曲が間奏の部分に差し掛かった時のことだ。この間奏部が終われば、彼女の台詞が始まる。
 その時だった。
 彼女は隣にいたメンバーと一瞬、顔を見合わせた。そして互いに笑い合うと、隣のメンバーの背中をそっと押したように見えた。「さぁ、いっといで」。そんな感じで語りかけるような動きだった。
 やはり意識しているのだ。いや意識するなというのは無理なのだ。まわりはどうしてもその話題をつけたがるのだから。
 彼女の台詞が始まる。とたんに場内からは大きな歓声が沸きあがる。もう彼女が娘。としてこのフレーズを歌うことはないのだ。
「紹介します……」
 そして彼女は舞台中央の階段を降りていった。
「証券会社に勤めている、杉本さん。背はまあ低いほうだけど、やさしい人」
 彼女はいつもよりも、ややゆっくりと語っている。
「お父さんと一緒で、釣りが趣味なの。だって、お父さんが『釣り好きの人に悪い人はいない』って、言ってたし。」
 僕はハラハラしながら見守っていた。このままでは台詞が最後まで言えなくなるように思えたからだ。しかし、彼女はそのまま、かみ締めるように語る。
「ねっ、おとーさん」
 しっかりとフレーズを収めた。さすがである。
 後にこのフレーズを歌う者が誰であっても、このフレーズは永遠に彼女のものだ。


 それからの僕は、彼女の様子をほとんど憶えていない。
「あこがれMy Boy」を題材にした寸劇も、彼女は出番がなかった。手元の記録によれば、このあと、本編の最後の曲「LOVEマシーン」まで11曲歌っている*1のだが、僕自身踊り狂っていたので、細かいディテールは憶えていない。ただ、だんだんとこの終わりが近づいているのが見えてきた。「恋のダンスサイト」が歌われれば、座席の空間で跳ねまわっていた。全力で。とにかく全力で。もうこの時間は二度とないのだから。それだけを考えていた。
 「恋のダンスサイト」のエンディングで、彼女たちを乗せた舞台装置のリフトが、ゆっくりと降りていった。バックスタンドはその様子を上から見下ろしている。下がったリフトの上で、ちらっと彼女たちが、銀色のガウンを羽織っているのが見えた。そして、ガウンを羽織った彼女たちを乗せて、再びリフトは上昇する。後日知った話だが、この時、リフトの「上昇」のボタンを押していたのは彼女だという。
 「LOVEマシーン」のときも、彼女の様子は普段と同じようにも思えた。特別なことはない。ステージの上では何も変わらない。曲が終わっても、表情が分からないのでなんともいえないが、涙ぐんだ声もなく、「バイバーイ!」と声を上げて下手の奥へと去っていった。



   5


 彼女たちが舞台を去ってから、客席はざわざわとした声が消えなかった。
 今日で彼女が卒業してしまうなんて、もったいない。そんな思いがしたからだろうか。何も考えることなく、僕は力一杯、彼女の名を叫んだ。
 自分の叫びが呼び水となったのかは分からない。だが、とたんにホールは彼女の名前を叫ぶ声で一杯になった。程なくして、彼女たちは衣装を替えて出てきたのだが、その時間はかなり長く感じた。
 本編の中では、ほとんど彼女の卒業にふれなかったメンバーも、ここに来てそのことを口にするようになった。場内は今まで以上に歓声が大きくなっていた。彼女の涙がことばをとめてしまったのだ。その最後に彼女が叫んだ。
「歌うぞ!踊るぞ!その調子で行くぞ!」
 今まで、彼女がそんな絶叫をしたことなど、見たことがなかった。彼女はこのような場合普通に叫ぶことが多い。僕よりもはるかに多い観戦歴を持つファンの人にも聞いたが、彼女があのような叫びをしたのは聞いたことがないという。もしかしたら、この時だけ、彼女はモーニング娘。のリーダーではなく、自分のことを解放したのかもしれない。その瞬間、まさに彼女はロックだった。彼女の生き様、それ自体が十分ロック的ではあるのだが、その時の彼女は、その生き様を絶叫という形で表現して見せたのかもしれない。もう、あと数曲を歌えば、彼女はこの仲間から離れなければならない。もうその決まりに逆らうことなどない。自分で、そう決めたのだから。
 曲は「恋愛レボリューション21」。そして「I WISH」。現在のメンバーでレコーディングされた2曲が、アンコールの曲となった。そのシーンを思い出そうとしても、何も思い出せない。彼女たちが全力ならこっちも全力で。もう二度とないこの時のために、声を出して、狭い座席の中で動いた。
 曲が終わった。これで終わってしまうのか。本当に終わってしまうのか。もったいない。やりきれない。
 まだまだ彼女はやれるはずじゃないか!


 場内は歓声が止まらない。
 つんく♂、田中秀道、河井博大という3人のゲストが彼女に花束を贈った。そして彼女は一人、舞台に残った。
「伝えたいことは、いっぱい、あります……」
 そう言って彼女はMCを切り出した。
 彼女は彼女自身のことは、ほとんど語らなかった。最後まで、モーニング娘。のリーダーとしての務めを果たすこと。自分はどれだけ娘。を愛していたか。彼女はそれをこの場においても優先させたように僕は思えた。
「私が何よりも好きなモーニング娘。を……これからも応援してください……」
 そして、僕の目の前に、上からたくさんの豆電球をつるしたケーブルが落とされた。それは彼女の背景にいくつもの星を作った。そこに「恋の記憶」のイントロが流れた。
 歌う彼女のアップがスクリーンに大写しにされた。
 普通に歌い出した彼女が、言葉に詰まってしまったのはすぐのことだった。客席は戸惑いで反応ができないでいる。スクリーンの下には歌詞が表示されている。だが、続きを歌う客席の歌声は、歓声と重なりあってしまって、一つの固まりにはなっていなかった。僕もまた、何もできず、ただ見つめているだけしかできなかった。

舞台上では、メンバーがひとりひとり、彼女に最後の挨拶をしていた。
僕はその光景を、呆然として見つめていることしかできなかった。声も出ない。涙も流れない。メンバーがそれぞれ、彼女にどんな言葉をかけたのか、それさえも記憶していない。
 「あたしはまだまだ、走るでぇ!」
 最後の言葉をいう彼女。涙声はなかったように思えた。


 場内の明かりがついた。終了アナウンスのBGMに「モーニングコーヒー」が流れていた。そこに彼女の名前を叫ぶ声が何度も重なっていった。それが彼女のことを思ってのことか、ただ騒ぎたいだけなのかは知らない。ともかく、外に出ようと思った時、後ろから声をかけられた。そこにはミニモニ。のTシャツ*2を着た青年二人がいた。彼らは座席でいうと僕の斜め後ろにいた子である。
 振り向いた時、急に足がふらついて思わずよろけてしまった。
「フラフラじゃないですか」と笑われてしまった。
「いや、全力でやっていたから……最後だし」と僕は恥ずかしくなって言う。
 彼らは周囲の客席がおとなしくしていたのが、ものすごくもどかしかったという。
「派手に盛り上がってくれたから、僕も盛り上がれました」
 それはすごくありがたい言葉だった。自分が客席で弾けるのは、ただ彼女たちを応援したかっただけであって、他の観客を盛り上げようという考えはなかった。この日、僕が弾けていた時も、まわりはおとなしい客ばかりだった。冷たい視線を感じてしまうことはあっても、自分が弾けることで人も盛り上がるということは思ってもみなかったのである。

 
 外に出る。噴水の周りには多くのファンがたむろしている。テレビカメラがやってきて、ファンに話を聞こうとしていると、そこに彼女の名前を叫ぶファンが群がってきた。噴水の中に入ってしまう者もいた。僕たちはそれを苦々しい表情で見ていた。
 「散ったね」
 「散りましたね」
 あるファンサイトの管理人さんと再会して、最初に交した言葉がこれだった。僕の中では彼女は最後までモーニング娘。のリーダーとして振舞ったと思っていた。彼女はこれで娘。から離れてしまう。何人ものファンが涙を流していた。でも、僕は泣かなかった。泣いてはいけないと思っていた。これはすべての終わりではないのだから。
 もう2時間もすれば、新しい彼女の仕事が始まる。ラジオのレギュラー番組である。今日は大阪からの生放送だという。
 「これからも、あなたのそばに、私はいます」
 彼女は「ASAYAN」に最後に登場した時に、メッセージとしてこの言葉を残した。たいがいの場合、僕はこの手の言葉を半分にしか取らないのだが、彼女の場合だけは、その言葉を信じてもいい、と思った。常に、娘。のことを誇りとし、先駆を切って走り続ける彼女。他のメンバーの誰よりも、プロフェッショナルな彼女。そんな彼女なら信じてもいいと思った。

 終演後、10数人で梅田の居酒屋で飲んだ。夜行列車などの関係で11時を前にお開きとなった。僕は持ち込んだポケットラジオを1242kHzにあわせる。房総半島から送られるニッポン放送の電波も、状態さえ悪くなければ大阪まで届くことも知っていた。
 一瞬のひらめきで受けたオーディション。デビューを賭けた手売り5万枚への道。そして4年後の今日、ひとりとなっての最初の仕事。放送開始の時間まで、あとわずかである。
 もう、彼女に「モーニング娘。」の冠はない。彼女は再び生まれ変わる。そして有縁の地、大阪から再び走り出すのだ。


 時刻は午後11時。
 時報が鳴る。
 ビター・スウィート・サンバ。
 彼女の声。
 そして―――



 「改めましてこんばんわ、
    そしてはじめまして。
       中澤裕子です―――」


                                        =終=



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*1:『愛車ローンで』のカラオケを含む

*2:新日本プロレス「ライオンTシャツ」のパロディ