植木通彦選手引退の話。

「突然のことで誠に申し訳ございませんが、このたび選手生活20年という節目を機に現役引退を決意しました。自分の描いた当初からの考えでしたので何卒ご理解いただきたいと思います。これまで全力で走り続けることができたのもお客さまからの暖かいご声援のお陰と心から感謝申し上げます。また、マスコミの皆さまをはじめ関係の方々にも大変お世話になり、本当にありがとうございました。今後はしばらく充電期間をいただき少しでも業界に恩返しできるような仕事を考えたいと思います。」
http://www.kyotei.or.jp/kyotei_info/web_news/topics/2007/07/20_002.htm

今日午後に会見を行って正式に引退を表明しました。
最近ではなかなかこんな思いはしなかったのですが、今回は本当に残念で仕方ありません。
結局2005年の笹川賞常滑)が10度目にして最後のSGタイトルとなったわけですけど、僕の印象に残っているのは今年の総理大臣杯です。知っての通り、準優までの走りはまさに「強い!」の一言で説明できるほどのものでしたが、断然の1番人気で迎えた優勝戦、コンマ01のフライングで18億円もの返還を出してしまいました。それでもファンは彼に歓声を贈ったそうです。
それは彼の走りに熱いものを感じた人がいかに多かったかを物語るものです。ファン歴が短い自分でさえ、勝負というものの厳しさ、残酷さ、そしてそれを受け止めようとする彼の強さ、「不死鳥」とまで呼ばれた彼のこと、必ず蘇るだろうという期待をしていました。

フライング休みからの復活戦の舞台は奇しくも7月5日からの平和島でした。今にして思えばファンへの最後の恩返しだったのかもしれません。18日まで鳴門の一般戦を走り、今日20日の永年功労者表彰式をもって20年の選手生活に別れを告げる。

偶然ですが昨日「マクール」のバックナンバーを整理していて、コラム「天下御免の競艇客」(筆・渡邊十絲子)を読んでいました。総理杯の結果を受けての「"艇王"植木通彦へのラブレター」と題された回*1は、このような形で結ばれています。

ファンは勝つ選手が好き、自分の金を増やしてくれる選手が好き。そういう面があることは否定しないけれども、しかし17億円超の大返還を出し、払い戻しの長蛇の列をつくってしまった選手に、ファンが罵声でなく歓声をあげるという事実。これが競艇の華というものだ。
植木通彦、あなたはあなたの考える艇王の美学を追及していっていい。もういかなる遠慮も不要である。

艇王艇王のまま艇王として去っていく。それが美学だったのでしょうか。
結局僕が彼の走りを見たのは2005年の総理大臣杯だけで終わりました。後は全部配信映像か場外発売でした。
いま、なぜ、平和島に行かなかったんだろうという想いが、僕の中で風に吹かれて舞っています。
 

*1:競艇マクール」2007年5月号