35歳の誕生日の話。

さて、日付が変わって裕ちゃんの誕生日を迎えました。
走れ歌謡曲」を聴いていたら、「今日誕生日の方です」と「カラスの女房」が流れてきました。「おぉ」と思いました。裕ちゃんの曲がラジオから流れてくるのって、そうはないですからね。
それはさておき、今の自分は時間があるので、裕ちゃんの著書をパラパラとめくりながらいろいろ思い返しました。
「ずっと後ろから見てきた」が発売されたのが2003年の11月。もう四年経つのかと思うと時の流れの速さを感じないではいられない。
ですから、35歳になった裕ちゃんがその先のことを意識しない訳はないと思う。
でも、きっとこの先も、歌っていける喜びを見せてくれると思うし、そうであってください。
「おめでとう」は会場でいいます。

グッズの方も発表されましたね。
http://www.helloproject.com/museum/tour/08_yuko35/index.html

この先は愚痴になりますので隠します。

裕ちゃんが今から11年前に思っていたことというのは、つい最近までの自分と重なっていたのかもしれないとも思った。大きく違うのは決めて辞めたのが裕ちゃんで、決まる前に辞めてしまったのが僕だったということだけど。
自分にしても会社を辞めたのは、このまま会社にとって都合がいいだけの人間でいいのか。今思うならば、組織と言えるものになっていなかった(そして僕にそれを変えるだけの力もなかった)、そんな会社の中で、周りに振り回されるまま40、50と歳だけをとっていく。
俺の人生、それでいいの?
そんなことばかり考えてたように思う。
裕ちゃんは「大阪予選もやっちゃうんです!」と例の調子で告知を見たとき、「冷静じゃなかった」と書いていたけど、退社した時の僕も冷静じゃなかった。決定打となった店のトラブルから退社が決まるまでの時間は「あの店で働く書店員としての僕は死んだ」というかそんな状態。引き止めもなかったし。だからこうなるのは必然だったのかもしれない。
 
裕ちゃんが、好きになれなかった自分の声を「中澤裕子の証」とまで感じられるようになったのは、初めてソロでライブをやるようになった時、つまり「紳士」のツアーの時だったそうだ。2002年の晩夏だから、モーニングコーヒーから数えて4年半。そして「歌手になりたい」という夢がかなったことを実感したのはソロのステージに立ってピンスポットを浴びた時だった。それだけの時間がかかったのだと。
そして最後はこう結ばれている。

 中澤裕子30歳 今私は始まったばかりです。

その時から5年経ったんだけど、今も裕ちゃんはそう思っているのかな。
自分はそうありたいと思う。
過去と現在と未来は分かれているようで分かれていない。だから、過去であり現在であり未来はすべて今の自分の心中に含まれる、と教えてくれた人がいた。今、それを思い出します。
だから、日々新たな思いでいたいです。

と、書いていたら走れ歌謡曲が終わってしまいました。
ちょっと前に「置き手紙」がかかりました。歌っているのが堀内孝雄だったのは残念ですけど。
とりあえず夜ふけにうだうだ書きました。
はぁ、とか思った方はさっさと忘れてください。
それでは、お台場でお会いできる方はよろしくお願いします。
ちょっと寝ます。