仙台フリーライブの話(その2)。

 3月11日以降、「日常と非日常」のことばかり考えている。
 例えばプロ野球の試合観戦は、非日常の世界に身を置くことに他ならない。球場に入った瞬間に目に飛び込む緑の芝(人工芝であっても)、ホットドッグとビールの匂い、どんなに大声でヤジを飛ばしても許されてしまう空間――まさに非日常だ。「息苦しい日常」から解放されるためにこそ、僕たちは球場を訪れる。
 しかし東北は今、「息苦しい日常」どころではない、非日常の中にある。じゃぁ、そこで野球をやるのはどういうことなんだ?
 非日常の中の非日常?

 この頃になると、僕も完全に地震のことを忘れていた。一つ一つのプレーに対する、観客の「ああ」「おお」、そして拍手。鳴り物が少ないKスタならではの、声だけの応援。3−1で田中が完投勝利を収めた瞬間、球場全体に舞う白いジェット風船
 何だ、いつもの野球じゃないか。「日常の中で感じる非日常」そのもの。僕はどんな試合でも、終わった瞬間にゆるい安堵感を抱くのだが――何だかんだで試合中は緊張しているのだ――その感覚も同じだった。非日常が終わり、日常が戻ってくる。*1

 イーグルスがKスタで試合をするような感覚に近いもの。
 ももクロのファンにとっての、それは現場。
 この普通じゃない日常の中に、ファンにとっての「週末」がやってくる。それが少しでも地元のファンに普通の一日を呼び戻せたなら、今回のフリーライブは成功したといってもいいと自分は思います。

 各メンバーの感想がブログであがってきましたのでひととおり読んでみました。
 総じてみな、この時期に仙台に行き、そして地元のファンから歓迎されたことについて感激の声を書いていました。実際の会場に地元と遠征のファンがそれぞれどれだけいたのか、それは現地に行っていない自分にはわからないことですが、前の方は地元客向けとして設定するなどの措置が取られたということで、懸念されていた遠征のファンが大挙押しかけて地元民が見られなくなるという事態にはならなかったようです。よかったと思います。地元むけのブロックはいっぱいだったとのこと。いかに地元ファンがこの時を待っていたかのような感じがしました。

とにかく『今できること』を少しでも実行できてよかった

 杏果はブログでそういうことを書いていました。
 ライブ決定の時に書いたことですが、自分は行ってもよかったんだろうか?ということについては、未だに結論が出ていません。今の状態で、生活を犠牲にしてまで遠征しなかったことは間違っていないと思っていますし、整理券を落としてしまった地元ファンに、遠征ファンが自分の整理券をゆずってあげたということをツイッターで知り、そういう形でも貢献はできるものだと思ったのです。
 自分は行かなかったことを後悔はしていません。ただ「何かできることをしたい」と思ったから。そう思って行ったなら、それも間違いじゃなかったのだと、今は思います。

*1:2つとも「Number」778号より堂場瞬一「非日常の中の非日常。」