ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。の話

 朝は肌寒い、昼は暑いっていうのは、あまり体に良くない気がする、最近の気候です。
 さて、先日書いたとおり、ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。

 今回はお昼過ぎに現着したのですが、やっぱり人多かったですね。好天に恵まれたこともあってか、屋外の屋台村もかなり行列ができていました。その列に並んで買ったのが、ビールと鶏肉とポテト。お祭りなんで最初がビールでも悪くなはいと思いますw 屋外にはスクリーンがあって、1月にフランス・ナントで行われた本家の映像がダイジェストで流れているのですが、テーブル席でワインを傾けながら映像を見ている人もいて、そういう所はいかにも祭りという感じがします。
 OTTAVAのブースにも寄ってみました。リスナーだなぁって人も結構いた。この日のプレゼンターは森雄一さんと本田聖嗣さん。何気に2人からポンポン飛び出すダジャレに結構笑っていたのですが、公演の時間と重なったのでゲストに来たフラメンコのギタリスト、カニサレスのパフォーマンスを見れなかったのは残念だった。
 当日券で見れたのは2公演。最初はベルリオーズの「ローマの謝肉祭」と「葬送と勝利の大交響曲」。演奏は東京音楽大学のシンフォニック ウインド アンサンブル。OTTAVAの放送内でも話題になっていたのだけど、「葬送と勝利の大交響曲」は演奏会ではめったに演奏されない曲だそうで、聞きどころは「ぶっ放しっぷり」。金管の炸裂ぶりが注目なのだそうな。そこを念頭に聞いていたのですが、仕事疲れかビールのせいか、寝落ちしそうな状態になってしまった。でも金管勢揃いの音が寝落ちをさせてくれないのです。
 それはともかく真面目に感想を書くと、聞いていて思い起こされたのが、幻冬舎の社長である見城徹が言った「人は誰でも死に向かって行進している存在」という言葉。死んだ人間を弔う葬列というよりは、今生きている人間が死に向かっていくという感覚。誰であれ死は避けられないことであって、そこへ向かって行進していく姿が最初浮かんだ。でも最後は勝利のメロディーが響く中で堂々のフィナーレ。どういうときであっても最後に勝ったと言えればそれでいいのだ、という気分にさせられる。
 
 2公演目はこれもまた演奏される機会が少ないといわれているフォーレの「レクイエム」。自分にとっては今回のお目当てだったのです。とにかくフォーレのレクイエムは、自分も初めて聞いた時にウルウル来てしまった美しいメロディが特徴です。指揮者は宗教声楽曲の歴史的名演をいくつも残したとされるミシェル・コルボさん。パンフレットには「合唱の神様コルボを聴けるという幸せ フランスが生んだレクイエムの最高傑作を」という文言が登場。会場はホールAなので5000人近くの客が入るのですが、それが8割がた埋まるという入り具合でした。
 デュリュフレの「グレゴリオ聖歌による4つのモテット」に続いて「レクイエム」。綺麗でした。合唱にキリッとさせられる、というよりはすごく優しい曲でした。そこを演奏のシンフォニア・ヴァルソヴィアが引き締めるというか。そこになんとなく、神のキリキリした感じではない、人の温もりに近いものを自分は感じました。終演の瞬間大きな拍手が起こって、立ち上がって拍手する人が何人もいて、アンコールがあって、それが終わるとまた大拍手があって、カーテンコールで出てきたコルボさんが大喜びの表情で客席に向かって手を振って、という大成功で終わりました。
 今年は本当に会場がお祭り、といっても騒ぐのではなくて、みんなで楽しむという空気が漂っていて、そういういい感じの空間があったように思います。いい一日でした。
 来年は日本開催10周年ということで、今まで特集された作曲家たちが帰ってくるというテーマが発表されました。来年もまたこういう空間を楽しみたいと思います。

フォーレ: レクイエム

フォーレ: レクイエム

 ではまた。