なにができるだろう。の話

 昨日は有楽町の東京国際フォーラムで行われたクラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の最終日に行ってきました。といってもキオスクと呼ばれる屋外ステージでの演奏だけ聞いてきたのですが、本来のお目当てがそれだったので、自分は比較的満足したイベントになりました。震災の影響でホールの一部に障害が起きて、最初はイベント自体中止になるとの方向で検討されたのですが、規模縮小での開催で行われました。でも、こうして音楽を聞くことで気持ちを上に上に向けていけるようになる。そういう体験をしてきました。
 3組の演奏を聞くことができました。アコーディオン3重奏、声楽8人組、ピアノ連弾という3組でしたが、ひとつは切々と哀愁を漂わせながら、一つは観客とコミュニケートしながら明るく、一つはビシッと筋を通すような演奏でした。自分はそのあとOTTAVAの特設ブースに足を運んで公開番組を見ていたのですが、そこにゲストで登場した人たちが、「音楽は何もできない、音楽には何ができるだろう」と自問したり、「音楽には魂にに働きかけるものがあるんだ、それを届けたいんだ」というような言葉を発したりしていました。そのため、自分もそういうことを考えさせられるイベントになりました。

 明けて今日、話は大きく変わりますが、ももクロちゃんが仙台でフリーライブを行うことが発表されました。その発表を受けて、東北の人にぜひ見て欲しい、中野に行けなかった人もいるだろうからと思ったのですが、同時に一つの問題がファンの間で持ち上がりました。地元以外の地域のファンが仙台に遠征してもいいのだろうかという問題でした。フリーライブだからといって遠征組が仙台にたくさん行ってしまって、本来パフォーマンスを届けるべき東北の人たちが見れないのではないか、といって遠征は自重しようという呼びかけと、それに対して、ただ行くだけじゃなく地元に金を落とす、例えばメシを食う、ものを買う、それも復興支援だ、と異議をとなえる人の間で意見が揺れました。
 自分は自重することにしました。それは単に遠征したら文無しになってしまうという理由でしかないのですが、じゃぁ資金が充分にあったら遠征したかと聞かれると、返答に困ります。埼玉で普段どおりの生活をして普段どおりの経済活動をする、それも国の経済を止めないためにも大事なことだと思うのです。そして復興支援の名の下に自分が仙台に行って本当にいいのだろうか、それは単なる我欲じゃないのか、という心理的抵抗があるからです。
 「自分は自衛隊のように誰かを助けることはできない・・・・・・でも、こうしてたくさんの人が来てくれて楽しんでくれたなら、それが音楽にできることなんだと思う」とピアニストの人が言っていました。遠征する人もしない人も、そういう自問自答を突きつけられながら、ライブの日を迎えることになるのではないでしょうか。ただ一つ、ファンの間で共通して認識していたのは、東北の人たちが、ももクロちゃんのパフォーマンスで楽しんでくれるのなら、それがいちばんいいと思う、ということです。スタッフによると、Ustreamによる中継ができないかの調整に入ったとのこと。岩手や福島の人にも届いてくれたらいいと思います。

 自分はなにができるだろう。
 それを考えながら、フリーライブの日を迎えることになると思います。
 たぶん。
 ではまた。